小さな製材所だから、できること

有賀製材所が取り扱っている材木は、ほぼ100%この地域で育ってきた木だ。
製材所は、森と私たちの暮らしをつなぐ大切な仕事。製材所がなければ、森から運び出された丸太を板にしたり、柱にしたり、乾燥したりと私達の暮らしで使う形にすることができない。

代表の有賀真人さんは「小さな製材所だから、できることがあります。」と力強く話す。それは地元の木を地元で使うという当たり前のことができる、ということ。木こりがいて、製材所が木を挽いて乾燥して、それが家になり、家具になる。

 

伊那谷で90年以上にわたって木を挽き続けてきた、老舗の製材所

有賀製材所は、1927年に創業してから90年以上もの間、原木を挽き続けてきた歴史ある会社です。戦前から現代に至るまで幾度も変化する時代の中を、親子3代強い信念を持って生き抜いてきました。

現社長である真人さんのおじいさんが製材所を営んでいた昭和初期は、各々が所有する山の木を使って家を建てていました。それが伊那谷の文化でした。そのため、自分の山の木を製材してほしいという「賃挽き(ちんびき)」の依頼がひっきりなしにあったそうです。また、製材した木を使って地域の公民館や小学校などの建設も行っていました。当時は、山と暮らしが密接に関わり合っていました。

その後、高度経済成長真只中の時に、真人さんのお父さんが2代目社長として就任。その頃は景気がとてもよく、次から次へと仕事が舞い込んでくる時代でした。そのため、すぐ近くの山に生えている木ではなく、一度に沢山の量を確保できる海外の木を使うようになりました。更には、「新建材」と呼ばれる人工的に作られた合板やベニヤの登場と共に、無垢の木を使った家づくりは激減し、地域の山と人々の暮らしの距離が、少しずつ離れていきました。

 

製材所だからできる家づくり。地元の無垢の木を使った家をつくりたい

どれだけ早く家を建てられるかが求められていた高度経済成長期。有賀製材所では、効率よく家を建てるために、地元の木の他に、海外の木や新建材を使った家づくりもおこなっていました。しかし、時代が進むとともに、新建材などに使われる化学物質が原因で引き起こる「シックハウス症候群」など、効率を求めすぎたが故の負の問題が顕在化し始めました。

心穏やかに、一番安心して過ごせるはずの家。その家にいるだけで、体の調子が悪くなってしまうという事態に、当時の従業員は強い危機感を覚えたといいます。そして、心から安心して暮らせる家を作りたいと、地元の無垢の木をはじめとした自然素材の家づくりを行う会社へと徐々に方向転換をしていきました。

ちょうどその頃、大阪で土木関係の仕事に就いていた真人さん。将来のことを考えている最中、両親から誘いを受け設計士として有賀製材所へ勤めることになりました。

 

試行錯誤の日々

自然素材の家づくりを行うために舵を切り始めた有賀製材所ですが、当時は「地元の無垢の木と自然素材で家をつくりたい」という考えが少なかったため、その道のりは平坦ではありませんでした。

木の温かさを感じて欲しいという思いで使われた、無垢の木のフローリング。しかし、冬になると「フローリングが隙間だらけになった」というクレームの電話が何件も来たそうです。木材の乾燥に関する知識がそこまで蓄積されていていなかったその当時、薪ストーブを焚くことによって空気が乾燥し、その影響でフローリングの木が縮んでしまったのです。新建材を使っていれば、このようなクレームが来ることはありません。早く、効率的に、そして狂いのない家を造ることができます。

「ただ、クレームを言ってきたお客さまも、最終的にはデメリット以上に無垢の木の良さを実感して受け入れてくださいました。そういう意味では、多くの理解あるお客さまに恵まれ、育てられたと思います。」と真人さん。

今では、地域材100%を誇る会社として県内でも数少ない製材所、工務店に成長しました。「自然のものを使うという意識で仕事をしていると、おのずと外材ではなく地域材を使いたくなる。なんでかな?」と笑います。

 

90年前から受け継がれる想い

不定期に依頼が来る賃挽きは、決して効率の良い仕事とは言えないのですが、有賀製材所ではいつでも快く受け入れています。そして、近頃は地元の木こりや木工家などがこぞって依頼をしています。しかし、賃挽きだけで経営を成り立たせることは非常に厳しいそうです。では、なぜ受け入れを行い続けているのでしょうか?

そこには、有賀製材所の揺るぎない信念がありました。

初代社長である真人さんのおじいさんは、「薪一本買いに来る人も大切にしろ。」と口癖のように言っていたそうです。その言葉の裏には、「どんな小さなものでも、買ってくれるお客様は大切にしたい。」という想いがありました。この想いは、真人さんをはじめ従業員の方々も強く意識をしているといいます。「賃挽きの仕事は、山側の人と木を使う人たちを繋ぐ製材所としての使命だと思っています。丸太1本でも挽いてほしいというお客様がいれば、これからも積極的に引き受けていきたいです。

90年前から受け継がれてきた有賀製材所の信念と、真人さんや従業員の強い想いによって、山と暮らしの距離が再び近づいているように感じました。

 

小さな製材所だからこそできること。

「製材所は、丸太から木を使うためのノウハウを一番持っていると思います。原木を製材するだけでなく、乾燥、加工までの技術がありますし、木工職人、運搬屋、地域の木こりまで幅広いネットワークを持っています。なので、個人のお客様が何かやりたいという相談があった時に、プロデュースをしてそのネットワークを繋げるのも製材所の仕事だと自負しています。」と真人さんは力強い目で言います。

最初はあまり興味がなかったという製材業。だけども、携わっていくうちにこの仕事の面白さにどんどん惹かれるようになったそうです。

「自社のためだけでは無く、地域の工務店や大工さん、個人のお客さまにも地元の無垢材を使って頂けるように積極的に提案し、その良さを広めていくことも、製材所のこれからの重要な仕事です。」

製材業は、森と人をつなぐ仕事。90年以上にわたって製材業を営んできた有賀製材所は、そのことに誇りをもって、地域材の様々な使い道について模索し続けているのです。

株式会社有賀製材所
http://www.arugaseizai.com/index.html