“わたし”と“暮らし”を身軽にしていく森の家具【後編】
pioneer plantsのコンセプトは “暮らしを身軽にする家具”。折りたためることとアカマツを使った軽さが特徴なので、室内・屋外どこへでも気軽に持ち運ぶことができます。
前編では、空間デザイナーの塚原朋子(つかはら ともこ)さんと、グラフィックデザイナーの大木洋(おおき よう)さんご夫妻から、「Owen’s Chair – クマのオーウェンさんのイス」(※2024年9月現在、Chairはリニューアルしており取材当時のものと仕様が異なります。)とともに過ごした移住前後の3年間のお話をお聞きしました。
2020年8月に二拠点生活をスタートしてから、1年4ヶ月。長野県・辰野町(たつのまち)へ移り住むと同時に独立をされた塚原さんと、都内の会社に勤め、リモートワークを経て独立に至った大木さん。後編では、働き方や暮らしにおける心境の変化について伺います。
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-- どのようにご自宅の改修を進められたのでしょうか。
大木さん:先ほどお伝えしたように、当初、仕事や住まいは東京に残したまま、週に3日ほど辰野町に滞在しながら物件をリノベーションしていました。そこからだんだんこっちにいる割合が増えてきて。コロナ禍で地元の友人と会うことが難しかった時期ではありましたが、移り住む直前は東京にいてもどこか物足りなさを感じていて、辰野町で過ごす3日間だけがちょっと特別な気持ちになれたと記憶しています。
大木さん:2021年12月に移り住むまでは二拠点生活を続けていたんですけど、気がつけば物理的にも心理的にも辰野町での生活を考える割合が増えていました。東京の生活にかかるコストを下げようと、一度は安い賃貸物件を探して引っ越してみたんです。でも、辰野町の生活をすっかり気に入ってしまい、結局3回ぐらいしか帰らなかったんじゃないかな。
塚原さん:半年ほどは借りていたと思うけど、わたしは多分1回も行っていないですね。
-- 辰野町に移り住んでから、働き方も含めたライフスタイルに変化はありましたか。
塚原さん:“整った” と表現するのがあっているのかな、普通の生活ができている感じがします。もともとは展示会のブース設計やディスプレイのデザインをする制作会社で働いていたんですけど、本当に昼も夜も関係のない生活で。
大木さん:当時は結構大変な生活リズムだったよね。
塚原さん:クライアントの都合もあるので、店舗営業が終わったあとに現場に入って施工がスタート。夜の8時から現場を見て、朝は再び出社して次のデザイン案をつくって・・・そんな生活の繰り返しでした。生活のサイクルが変わって気づいたのは、東京はどこもかしこも電気がついていて夜もずっと明るかったこと。夜がちゃんと暗いのはやっぱりいいですね。
大木さん:当時住んでいた田端の辺りも夜は明るかったよね。だからなのかわからないけれど、仕事もついつい遅くまでやってしまうというか。身体的な変化だと、夜が暗いと自然に眠くなってしまうんです。夏はクーラーが要らないほど涼しいし、夜は星がきれいでホタルも飛んでいて。いざ、そういう生活になってみると、生活そのものに安心感を感じられるようになりました。
塚原さん:夜は人と車の気配が一気になくなるから、自然と息を潜めちゃう感じもあるかな。
ーー 現在も東京との行き来はされているのでしょうか。
塚原さん:最近は東京の仕事も始めたので、逆にメリハリができてきたように思います。久しぶりに渋谷に行くと「なんだこの街!思っていたよりもかっこいいじゃん!」と感じることもありますし(笑)。自分の中でいいバランスが見つかったのかもしれません。
大木さん:二拠点生活も楽しかったよね。
大木さん:以前はメーカーでUIデザインの仕事をしていました。やりがいもありましたが、大きな会社だったのでユーザーからのフィードバックを体感として得られることが少なくて。こちらに移り住んでからは、奥田さんたちのまちづくり会社「◯と編集社」を手伝っているんですけど、同じ「デザイン」という仕事でも目の前で喜んでいただけますし、つくり手として受け取れる熱量がまったく違うことを感じています。自分がやった分だけちゃんと返ってくる感覚があって、その変化がいちばん大きいです。ただ、独立を考えたときは相当悩みましたけどね。
-- どこかわからないところに向かってボールを投げているというよりは、ちゃんとキャッチボールができているイメージでしょうか。
大木さん:そうですね。提案したデザインが地域に反映されていく楽しさもあります。だんだん自分が手がけたものが視覚的に増えてきて、まちを歩きながら思わず笑みがこぼれてしまうこともありますね(笑)。
塚原さん:移住をしたら、これまでの経験が活かせる仕事は見つけづらくなると思っていました。だから、東京は東京の仕事としてライスワーク的に続けようって。ですが、移住してからはライスワークとライフワークを分けるというよりは、その境界がいい意味で曖昧になってきたように思いますね。
塚原さん:先日もpioneer plantsのスタイリングをさせてもらったんです。ほかにも、空間デザインの知識を活かしてコーディネートを任せてもらったり、DIYイベントの企画・進行管理をしたりしています。東京の仕事も楽しかったんですけど、急いで施工して、会期が終わったらすぐに撤収されて。どういうお客さんが見てくれているのか、実際に商品を手にとってくれたのかもわからない状態で、消費のサイクルがとても早かったです。手がけたものに対して、顔が見える人たちからリアクションをもらえるのはやっぱり嬉しいことですね。
塚原さん:仕事の仕方もそうですが、日々のお金のかけ方も変わってきたように思います。東京だと、入ったお店の店員さんの顔を覚えることはないですし、向こうも覚えていられませんよね。移り住んでからはお店の方と話すことが増え、知り合いや友人のお店が自然と行きつけになっていくから、消費行動そのものが気持ちのいいことだと思えるようになりました。日頃食べている野菜もつくり手の顔がわかるし、お互いに安心感がありますね。
大木さん:そうそう。そういうことだと、pioneer plantsは確実に奥田さんの顔を思い出しながら買っていましたよ!
-- 誰かの顔を思い浮かべながら仕事や生活ができていくことは嬉しさがありますよね。一方で、おふたりのコミュニケーションや二拠点生活をしながらのDIYは、見方を変えるととても手間がかかることをされている印象があります。
塚原さん:そう言われると、確かに手間はかかっています(笑)。でも、私たちにとって手間をかけることは不幸せなことではないんです。ふと我に返って「なんでこんなに時間をかけて家をつくってるんだろう?」と思う時もあるけれど、東京にいた頃の生活と比べると自分だけのキャンバスを手に入れたような感覚があります。
大木さん:なんだか新しい趣味を見つけたような感じだよね。DIYをしながら家の構造がわかってきたことが個人的には嬉しくて、構造やプロセスがわかると自分が強くなっているような感覚もあります。最近は、ご近所さんに畑を借りて野菜をつくれるようになってきたので、人間的にも育ってきたんじゃないかな。
塚原さん:ご近所さんを見ていても、お米とか野菜が育てられたら最強だよね。
大木さん:たくさん野菜が採れたときは “よし、なんとかなるぞ” と思えるものなんです。ずっと地域に住んできた方や、先に移り住んでいるみなさんは当たり前に畑を耕していて。たとえAmazonが配達されなくなったとしても、ここのみんなはきっと平気で生きていけるんだと思いました。
塚原さん:現在、辰野町で二拠点目をリノベーションしているのですが、いわゆる「古民家」というよりは、昭和の時代に増築されて見た目もつぎはぎの日本家屋なんです。初めは立派な古民家がいいと思っていたんですけど、私たちが手がけるならちょっと中途半端な物件のほうがおもしろいんじゃないかと思えてきて。ついニッチな方を選んでしまいました。
大木さん:移住先もそうだよね。ふたりともバンドマンだからか、ついついインディーズな方向に向かってしまう指向性なのかも。
塚原さん:働き始めてから全然バンド活動ができていなかったんですけど、こちらに来てからはまた音楽仲間も増えて。里山の中のスタジオを借りて、最近はみんなで再び音楽を楽しんでいます。
ブランド名にもなっている “パイオニアプランツ” とは、裸の地面から最初に芽を出す先駆植物のこと。お気に入りの風景を探しながら、縁ができた辰野町で新しい暮らしを始められた塚原さんと大木さんのお話は、自然体でありながらもたくましさを感じました。
この記事を読んでくださったみなさんも、まずはとっておきの場所を探して、自分だけの時間をゆっくり過ごしてみませんか。どんな場所にも持ち運ぶことができ、私たちの心を軽くしてくれる「pioneer plants」は、きっとあなたの味方になってくれる、森から生まれたしなやかな家具です。
(執筆・並河杏奈)